ガソリンスタンド事情
かつて「大協」とか「丸善」、「JOMO」、「共同石油」という名の石油元売り会社が経営するガソリンスタンド(GS)が日本全国に展開してあったのをご存知でしょうか?
ガソリンスタンド経営は、中東の石油情勢で浮き沈みが激しく、紛争などで原油価格が高騰すると、一般ユーザーを直撃するし、また、国道沿いでは過当競争で値下げバトルによって薄利となり、採算がとれずに経営を圧迫し、あえなく店をたたむケースが相次いだ。
私が暮らす福島県郡山市は、かつて中心市街地にも数多くのガソリンスタンドがあった。しかし、今や郡山一のメインストリートの「さくら通り」には一軒もガソリンスタンドは無くなった。
「さくら通り」は、東は国道4号線との交差点から内環状線を経て西の国道49号線までの約4kmを指す。ではかつてどこにあったか見てみたい。
1 虎丸町 「増子文房具」の西隣りにある「遊佐商店」のところに小さな給油スタンド
が一個だけあった。たぶん、車のガソリンではなく、家庭用灯油販売だったと思う。
2 虎丸町 ホテルハマツ(かつてはザベリオ学園)の向かい側に「丸善石油」の「北日本
石油」があった。その後、「コスモ石油」に変わったが、平成に入ってすぐ撤退した。
3 虎丸町 「丸三文房具」の東隣りに「大協石油」のミニスタンドがあった。昭和の頃に
消えた。
4 虎丸町 現在の「ツルハ」「Docomo」がある場所は佐藤燃料「朴」の「昭和シェル」のス
タンドだった。平成になった頃まであったが、その後、「駐車場」、「ベニマル」と移り変
わった。
5 長者 安積黎明高校の西隣りには「カメイ」が経営する「日本石油」のGSがあった。
6 長者 さくら通りと内環状線の交差点(南東側角地)にあった。メーカー名は忘れたが
結構賑わっていたと思う。今はオシャレな店舗だが、昔GSだった名残が見られる。
7 朝日 市役所の西側にある「ニコニコこども館」はかつて、「郡山会館」→「ラフィーネ
郡山」とその名称を変えたが、その西隣りに「出光興産」のGSがあった。
8 開成 国道49号線から100mほど手前の南側に「モービル石油」のGSがあった。
今はコンビニの駐車場となっている。
このように、昭和の頃は「さくら通り沿い」だけでも8つものGSがあった。しかし、今は「ゼロ」というお寒い事情。だからさくら通り沿いに暮らす住民は、ガソリンや灯油を求めに行く場合、新さくら通り沿いや内環状線沿い、うねめ通り沿いまで出向かなければならくなった。不便極まりない。
続いて、かつて一世を風靡していたCMで、今では見られなくなった懐かしいCMを紹介したい。
① モービル「バナナで釘が打てる-40℃の世界」
② キグナス石油
1990年・キグナス石油(エクソンモービルグループ時代)のα‐100ガソリンCM。今も現役バリバリだが、ここ郡山では見かけなくなった。
③ 日石灯油
④ 共同石油
共同石油は日本各地にあった有名ガスステーション。それが「JX日鉱日石エネルギー」に吸収された。つまり今の「ジャパンエナジー」。
⑤ JOMO
JOMOは日石と合併し、「ENEOS」に統一された。
⑥ エッソ
かつて一世を風靡した「エッソ」、「モービル」、「ゼネラル」はエネオスブランドに統一されている。
⑦ 昭和シェル石油
https://www.youtube.com/watch?v=nweh4HMN-vs
アイルトン・セナが出演したこのCMは一世を風靡した。
郡山市内にはこのGSが10箇所生き残っている。
ほかにも取り上げたい石油会社のCMはあるが、容量不足のため、今回はここまで。
さて、これらの動画映像を懐かしんでくれた方は、本日の記事の趣旨を理解されたと思う。1980年代から90年代にかけて、こんなにあった石油元売り会社も生き残りを賭けて合併や統合を繰り返して来た。GSのCMも随分様変わりした。それくらい生存競争が激しかったということの証明になる。
なお、ここ郡山では、エネオスが圧倒し、出光、エッソ、太陽石油、ゼネラル石油が生き残っている。
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