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2018年5月29日 (火)

郡山ゴーストタウン?!

 タイトルだけを見れば、我が街・郡山は過疎化が進み、ゴーストタウン化しているような印象を与えるかもしれないが、決してそうではない。ではなにゆえこのようなマイナスイメージのテーマで記事をしたためるのか?

 それは郡山の中心市街地のみならず、市内北西部に位置する「磐梯熱海温泉街」でさえ、もう使われなくなった店舗や廃業した旅館が廃墟化している。解体費用も膨大に嵩むことから、醜くもそのままの姿で放置されている現状を危惧してのことにほかならない。

 ではさっそくタイトルに掲げた内容を実証したい。

 1 太田記念病院(中町)

 歴史は古く、明治28年に郡山市の中町に医院を開設。昭和32年に、今廃墟として残されている病院の建物が竣工した。
 1989年9月、太田西ノ内病院へ移設。1989年10月熱海総合病院を太田熱海病院に改称。2009年3月閉院。(廃墟検索地図の記事より)

 ここは私が幼少期から中町にあった郡山一巨大な大病院。子どもの頃は、救急指定だったこともあり、「ここに運ばれれば死ぬ」という悪評まで立ったが、これがなければ郡山に巨大病院はなかった。太田一族は、先祖代々、親戚までもが医師の家系で、市内各地で大小多くの病院経営を行っている。現在は太田西ノ内と太田熱海病院を展開している。
 歴史が古いだけに、移転するまでの42年の間に一体何人の患者がここで亡くなったのだろうか?死者のさまよえる魂が浮遊しているかもしれない。ここを解体し、いったん更地にして再開発しても何かしらの非科学的な現象が起きるかもしれない。
 まして郡山にあった「室塚医院」(虎丸町)や「本多記念病院」(並木)のように、解体後、マンションにするのだけは勘弁して欲しい。怖くてそんなマンションには住めない。真夜中に金縛りにあって目が覚めたらと思うとぞっとする。

Otakinen

 なお、念のため群馬県にある太田総合病院とは全く関係が無い。

 2 星綜合病院(大町)

 郡山市大町2丁目に病院があったが、建物の老朽化が進んでいたため、2011年1月に新築移転の認可が行われた。その後、同年3月11日の東北地方太平洋沖地震で建物が大きく被災している。現在も解体はされておらず、当時のまま残されているが、地震の影響で、渡り通路が空中でぶら下がったまま朽ちている。敷地内はバリケードで囲まれているため、落下物の犠牲になることはないが、巨大な渡り通路が落下するのも時間の問題だ。

 新病院はかつて福交ゴルフガーデンの打ちっぱなし場があった跡地に建てられた。土木工事で化学薬品が大量に検出され、一時工事がストップした。
 となりがアミューズメントパーク「ラウンド1」で、東部幹線道路を挟んだ東側は昔、火葬場だった場所。よくこの場所に巨大病院を建設したものだ。
 名前の通り、上空からこの大病院を見ると、「星形」をしている。大町の時には高層ビルが2棟あったが、5階建てだが、低く感じる。
 各フロアともに明るく、開かれた病院という印象が強い。
 ちなみに、ここの星北斗理事長は、何を隠そう、私の中学校の1つ上の先輩だ。何度も話したことがある。全校生を前にして、「電子レンジ」の仕組みを説明し、マイクロウェーブ波の特性について解説するほど頭が良かった記憶がある。
 また、私の2人の子どもはここの産婦人科で誕生したし、耳鼻科によく診察券を取りに行ったものだ。

Hoshisougou

 3 寿泉堂病院(駅前)

 私はここで診療を受けたことがあるし、母親が25年前に「一過性脳虚血」で入院した際に、何度も見舞いに訪れた。駅前の市街地にど~んと構え、昔ながらの古い佇まいを見せていた。後から増築したかのように迷路のような作りだった。

 しかし、その後、「うすい」(旧第2うすい)の南側に高層病院として生まれ変わった。ここが怖いには、1階~6階までが病院で、そこから上層階がマンションで居住可能な点。一見、同じビル内に総合病院があるのは、病気の際にはありがたく感じるが、病院というところは、大勢の患者が命を落とす場所でもある。その同じ建物内に住めるのだろうか?そしてここは救急指定病院になっており、夜中だろうが何だろうが、救急車のサイレン音がけたたましく、安眠妨害も甚だしいはずだ。
 駅前に建った「ロイネットホテル」や「アパホテル」からこの廃墟が丸見えで、宿泊客は、どういう気持ちでこの病院を見ているのだろうか?マイナスイメージは否めない。

Jyusendou

 この3大病院廃墟については「Webログ郡山」に詳しく書かれています。

 http://weblogkoriyama.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 郡山には他にも「南東北病院」という巨大病院が存在している。福島孝徳先生が来て脳腫瘍の鍵穴手術をするので有名だったが、最近は、院内感染で死者を出し、悪い評判が立った。ここには廃墟はない。富久山~八山田界隈に次々と病棟を増設し、さらに巨大化している。

 他にも病院だった場所は、並木の「本多記念病院」や郡山警察署斜め向かいの「福島中央病院」(図景)、「旧国立郡山病院」(希望ヶ丘)、「保科医院」(細沼)などがあるし、泌尿器科系の斗星堂病院(清水台)もあった。

Hondamemorial

 4 うすい百貨店女子寮(多田野町)

 今から30年以上も前まで使われていた老舗百貨店「うすい」の女子寮。なんと中心市街地から15kmも離れた多田野町の田舎に建てられた。まるでうら若き女性達を隔離しているかのようで、三森峠に向かう手前の辺鄙な場所にある。学校のような作りだが、当時はここで集団生活を送っていたのかと考えるとおぞましい限りだ。周辺には墓地があるし、街灯も店などもない。夜中に怖くて外出などできない。
 中に入ったことがないので、内部は不明だが、不心得な人が不法に入り込んで内部を撮影したようだ。外観もそうだが寮というよりもまるで学校といった佇まいだ。

Usui3
Usui2

 5 河鹿荘(熱海町)

 ここも30年以上も前に廃業した老舗ホテル。奥行きが無く、今で言う「アパホテル」のような造り。夏場は雑草がぼうぼうで、足を踏み入れるのを憚りたい朽ち果てた状態。客室の窓は割れ、浮浪者が入り込んで生活していそうな佇まい。一時期、肝試しや廃墟マニアが入り込んで、骨壷を発見したという噂があったが、それは真実だった。
 私は怖くて足を踏み入れたことは無い。というより、不法侵入で逮捕されるのが関の山。

 6 磐梯熱海駅前の閉店したスーパー

 今から20年くらい前、まだ営業していた時に、店で買い物した経験がある。昔ながらの地元密着の良心的な店だった。今は建物自体は残っているが、物寂しい有様だ。この近くの元湯温泉旧館も廃屋になっているが、そこで肝試しをしていた男2人が、遺体を発見して騒然となったのを新聞記事で読んだ。

 いつのまにか撤退や廃業して規模縮小や無くなった店

 ワークマン・・・今は大槻町、安積町荒井、富久山町、小原田の4店舗のみ

 コメリ・・・富久山町、守山、希望が丘の3店舗 かつては7~8店舗あった

 ビバホーム・・・今では針生と桑野のみ かつては安積、喜久田、横塚にもあった

 カンセキ・・・ホームセンターだが、かつては新さくら通りの堤と亀田にもあった。しかし、
        ビバ、カインズ、ケイヨーD2、ジョイフル山新、ダイユー8などホームセンター
        激戦区の郡山にあって、あえなく撤退した。

 リオンドール(旧ライオンドー)・・・会津が本拠の大型スーパーだが、今や郡山市内には
        西田町に一店舗あるのみ かつては備前舘や新さくら通りにもあった。

 スキーショップ・・・ビクトリア(朝日)・アルペン(桜木)

 味の民芸・・・かつては長者や安積町荒井にあった。福島県からは完全撤退

 サンショー・・・イゲタストアから名称を変えて事業拡大したスーパー。東部幹線沿いにあったが、
        今では震災後に「ペップキッズ郡山」となってしまった。

 半田屋・・・東部幹線の横塚にあった仙台が本社のセルフ型レストラン。私の行きつけだったが、
      1年ほど前に撤退した。

 何か栄枯盛衰を感じてしまう。流行り廃りが著しい現代において、市民に愛され残る店と、切り捨てられる運命だった店や建物。この差はあまりにも激しい。

 ひとつ気がかりは、そうした店舗で働いていた従業員はどうなったのだろうか?解雇されて、仕事を失ったのか。それとも配置転換で別の店へ異動になったのか・・・。

 7 平成2年まで稼働していた「郡山市営薬師堂火葬場」の正確な位置(追記:令和2年5月24日)

 この日、貸し出しを再開した「郡山中央図書館」を訪れ、26年前の出来事の新聞記事を調べたり、古い郡山市の住宅地図を書庫から出してもらい、いろいろ調べてみた。そのひとつに、平成2年まで横塚3丁目にあった「郡山市営薬師堂火葬場」の正確な場所が判明したので記したい。
 するとそこには現在、或る店の敷地がかぶっている。あまり書くと営業妨害になるのでコメントは差し控えます。平成元年と現在(令和2年)の地図を見比べて、そこには今、何があるか、各自でご判断ください。

 下は平成元年の横塚3丁目付近の地図(火葬場は画像の真ん中の上のほうにある)画像をクリックすれば大きく見やすくなります。
Img_7779
 画像の左上にあったのが「福交ゴルフガーデン」で、今はここに「ROUND1」と「ドン・キホーテ」が建っている。その東部幹線を挟んだ東向かい側にあるのが、現在も存在する「下水の終末処理場」。同じ敷地内の南側の一角に「郡山市営薬師堂火葬場」があった。
 そして下の現在の地図で、今、その場所には何があるか見比べてもらえば一目瞭然だ。 

 下は現在の横塚3丁目付近の地図
Kasouba1  

 周辺はこの32年でガラリと変わっている。でもこうして2つの地図を比較すると、確実に見えて来る。火葬場があった場所は、その下の左右に走っている道路の北側。つまり薬師堂火葬場があった建物の真上を貫くように「美術館通り」が拡張された。火葬場だった敷地を削って道路にしている。だから、その交差点からヨークベニマル横塚店がある辺りは、市内でも飛びぬけて死亡事故が多いのだ。しかも高齢者が信号のない道路を無理に渡ろうとして車にはねられるケースが大部分を占めている。

 今日の記事は、やや怖くて郡山市にとってはマイナスイメージになる。しかし、予め知っていれば、「君子危うきに近寄らず」ではないが、近寄らないだろうし、ある意味「覚悟」というものができる。

 変に恐怖心を煽るつもりはないが、郡山にある注意すべきスポットを知り、安心して暮らせるようにしていただきたい一心でしたためたまでだ。

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